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魔法少女まどか☆マギカの7話を見た

回を追うごとに、“キュゥべえ”という存在の真実が、少しずつ浮き彫りになっていく。
「人間の価値観が通用しない生き物」なのだから、人の気持ちがわからないのは至極当然。
あるのは純然たる対価主義。奇跡は義務によって購われなければならないという透徹した意思のみ。
人でなく、生物でさえなく、もはや神か悪魔かという遠大な視点だ。
キュゥべえからすれば、世界は巨大なジオラマかなにかのように見えているのかもしれない。

だから、そんなキュゥべえと比較すれば、利己主義を掲げて傲岸に生きる人物でさえも、利他じみて見えてくる。
損得勘定にシビアな杏子でも、キュゥべえほどには機械的になれない。
彼女は彼女の言葉でもって、過去を語り、自論をならべ、失意に沈むさやかに「こだわるな」と説いてみせた。
「対価は既に払っている。だからあとは好きなようにやればいい。業を負うのも利を得るのも己次第の人生を」と。

それは一片の真理だ。
人としての生を既に捨て去ってしまっている魔法少女は、そこから前に進むことが最早できない。
できるのは、立ち止まり、奇跡の対価を支払い続けることのみだ。
ゆえに、そのなかで得られる利をとことんまで追求するという姿勢は、何ら間違ったものではない。
キュゥべえがなにも言わずにいるのも、おそらく彼にとって損になることがないからだ。

割を食うのは、犠牲にされる無辜の民のみ。
だがそもそもにして、魔法少女の力は無限ではない。グリーフシードを得られなければ、いつかは枯渇してしまうものなのだ。マミやさやかのように、しらみつぶしで対処していくスタイルでは、小さくない確率で破綻を迎えてしまうだろう。
そうなった場合に犠牲となってしまうのも、普通に生きる普通の人々だ。魔法少女を打ち倒した魔女が次に狙うのは、きっと彼らなのだから。

だから、魔女との戦いにおいて効率を追求するのは、決して間違った戦術ではない。
少数の犠牲を看過することで、より多数の犠牲を未然に防ぐ。
局所的に見れば非道によってもたらされた悲劇だが、マクロな視点から見れば英雄的な行為だ。この姿勢を非難する資格のある者など、地上にはひとりとていないだろう。
同じ、魔法少女以外には。

さやかだけは、その考え方に「否」と突きつける。
人を救うために魔法少女になった。であるならば、人を救うためにのみ魔法を使い続けるのだと。
わたしはお前たちとは違う、魔法を自分のためになんて、絶対に使わないと。
絶望的な真実を知り、失意の底に沈んで、そこからさらに追い詰められ、崖から突き落とされるようなことになっても。
なお、自分の意地を貫き通すと。

まさに“正義の味方”。
義によって生き、義によって死す。紛う事無きヒーローとしての在り方だ。

しかし、人というのはたとえ持ち前の身体を捨て去ってしまっても、それほど強くあれるものではないらしい。
苛まれ続け、傾いていく彼女は、遠からず倒れてしまうのだろう。
そして、倒れたときに、いったいなにが起こるのか。
予想は幾らかできるけれど、そうであってほしくはないと、願ってやまない。


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テーマ : 魔法少女まどか★マギカ
ジャンル : アニメ・コミック

魔法少女まどか☆マギカの6話を見た

ソウルジェムから穢れを吸ったグリーフシードは、孵化して魔女となる危険性があるらしい。
ソウルジェムから吸える穢れの総量に制限があるのも、この理由があったからなのだろう。
元より「魔女の卵」と称されていたから、さもありなんといったところだ。

そして、穢れたグリーフシードはキュゥべえの餌となる。
食べられたあとのグリーフシードが、どうなるのかはわからない。
浄化されるのかもしれないし、消滅してしまうのかもしれない。
「願いを叶える」なんて力があるのだから、そのくらいのことができても不思議はない。

けれどどちらかというなら、キュゥべえが「穢れたグリーフシードを餌にできる存在」と考える方が、状況から考えると自然かもしれない。
杏子が5話で語った食物連鎖の話が、妙な不気味さを帯びてくる。

その杏子とさやかの戦いに、前回の最後で割って入ったほむらだが、どうやら彼女の持つ特性は、やはり空間もしくは時間を操作する類のものであるようだ。
1話の冒頭、3話の魔女戦、5話での乱入。
そして今回。
たとえば「ある半径内の地点AとBを入れ替える」というような能力か、もしくは短期の時間停止であると考えたなら、すべて説明がつく。

となると気になるのは、彼女が「なにを願ったか」だ。
魔法少女の持つ特性が、願いの方向性によって決まることは、5話で明言されている。
祈りの願いによって魔法少女となったさやかは、全治3ヶ月相当と見られた怪我をわずか数秒で完治させるという、桁外れの回復力を獲得するに至った。

「空間または時間を操る」という、戦闘に際してはこれ以上ないほど強力な特性を有するほむらは、いったいどのような願いによってそうなるに至ったのか。
興味は尽きないが、寡黙な彼女が語ることは、いまだないままだ。

ただ、そんな彼女の目的の一端は、今回で明らかとなった。
杏子との会話のなかで吐き出された「ワルプルギスの夜」という単語。
欧州においては初夏に行なわれる行事の名前であるが、この場合、言い伝えのひとつにその真意が隠されていると見るべきだろう。
すなわち、「魔女の夜」という意味合いである。

ほむらは言う。「そいつさえ倒せたら、わたしはこの街を出て行く」と。
「ワルプルギスの夜」に現れるという、杏子をして「手強い」と言わしめる何者かを倒すこと。それがほむらの目的だと思われる。

気になるのは、それとまどかとの関連性だ。
ほむらがまどかを魔法少女にしないために動いているのは、これまでの行動から明らかである。
だが、その理由についてはなにもわかっていない。
知らされているのは、「すべてを失うことになる」という謎に満ちた一言のみだ。

「ワルプルギスの夜」と、「鹿目まどかの契約」。
このふたつに、暁美ほむらという人物が深い関わりを見せている以上、繋がりがないとは到底考えられない。
何らかの理由により、ほむらは「鹿目まどかの契約を阻止」し、なおかつ「ワルプルギスの夜に現れる何者かを打倒」しなければならないのだろう。
この物語において、そのふたつの達成が、ほむらのゴールラインになるのだと思われる。

そして、彼女がどういった目的を抱えていようとも、周囲がそれを理解することはない。
なぜなら彼女は、必要最低限の説明以外は一切なにも語ろうとしないからだ。
意思の疎通が図れなければ、目的に理解を示すどころではない。誤解が生じ、それが敵意にまで発展するのも無理からぬことと言える。
美樹さやかのようにだ。

さやかの言は正しい。
杏子もほむらも、自分の目的だけを見すえてひどく利己的な生き方をしている。
そのためならば「手段を選ばない」と平気で言い放つほどだ。
それは、他者のために魔法少女となり、他者を救うために戦おうとするさやかとは、決して相容れない考え方である。
だからさやかは、杏子を敵視し、ほむらを危険視する。
そこにはまどかの理解不理解など、まるで関係がない。

だからこそさやかは、杏子と対立し、ほむらを危険視し、まどかとも道を違えていく。
目的が違うから、相反してしまう。
そして、それは恐らく、まどかの言うように「話し合い」をしたところで、楽に解決できるものではないだろう。

既に一度殺し合いをしてしまったから…というわけではない。
そうしなければならないほどに譲れないものが杏子とさやかにはあり、ほむらはそれを止めず、まどかは理解しないからだ。
齟齬がここまで大きくなってしまった以上、取り繕うのさえ簡単なことではないはずだ。

しかし、そこに大きな転機が訪れる。

事実とは、強力なものだ。
推論や憶測には決してない、絶対的な説得力がある。
受け入れざるを得ない重さがある。
少女たちの抱える事情など、一瞬で薙ぎ払ってしまうほどに。

ソウルジェムの本質。
肉体はただの端末に過ぎず、ソウルジェムこそが本体。魂の器。
杏子すらも、その事実を知らなかった。
“自分たちが既に人間ではなくなっていること”を。

おそらく、さやかの異変に反応を示さず、投げ捨てられたソウルジェムを追い掛けに行ったほむらだけは、そのことを知っていたのだと思われる。
そして、彼女以外のほとんどの魔法少女は、杏子のようにこの事実を知らないでいるのだろう。

このあまりにも重い事実を淡々と語るキュゥべえには、悔恨も憐れみもない。それどころか一切の感情がない。
効率のいいシステムを受け入れられない人間に対し、わけがわからないとこぼすだけだ。

つまるところ彼は人間ではなく、人間の倫理に縛られた人物でもなく、「魔法少女との契約を取り結ぶ」という、ただそれだけのために生きる存在なのだろう。
善か悪かすら関係なく、目的のために最良を目指すだけの、ロボットのような存在。
機械的な無表情も、情動を廃したかのような淡々とした語り口も、そんなモノであるのだ思えば、むしろ自然にも見えてくる。

この絶望的で決定的な事実が知らしめられたことによって、魔法少女たちの辿る道筋は、ますます混迷をきわめるだろうと予想される。
ここから先、いったいどのような展開を迎えるのか、憶測すらも難しい。
ちょうど半分、折り返し地点。
残りの半分が待ち遠しくも、恐ろしくもある。


魔法少女まどか☆マギカ エンディングテーマ Magia(アニメ盤)
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テーマ : 魔法少女まどか★マギカ
ジャンル : アニメ・コミック

まどか☆マギカのサントラ

サントラは、BD/DVDの初回版特典になるようだ。



http://www.madoka-magica.com/bddvd/02.html

BDDVD初回版特典



化物語のサントラが、BD/DVDの特典になっていたという話を事前に聞いていたので、こういう展開も予想の範疇だ。

あと気になるのは、作画の修正がどの程度入るのかというあたり。
作画のミスなのか、そうでないのかいまいちわからない箇所が本編中に散見されるので、そういったところは商品化に際し、きっちり直してほしいと思う。


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テーマ : 魔法少女まどか★マギカ
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魔法少女まどか☆マギカの5話を見た

これまで謎に包まれていた、キュゥべえとの契約の場面。
舞い上がる花弁の演出にぞくぞくした。

一方で、さやかの無理してる感ありありな様子が痛ましい。
中学生の身で、命の危険を伴う戦いに身を投じるなど、耐えがたいほどの恐怖だろう。
たとえ願いが叶ったうえでの結果であったとしても、恐いと思う気持ちは止めようがない。

だから、まどかを責める気にもなれない。
彼女の態度は、人の力のみをあてにし、自分を勘定に入れない不誠実なもの。そのように受け取ることも、確かにできる。

だが、目の前で魔法少女の顛末を、すべて余すところなく見てしまった彼女に、恐がるなと責めることが、いったい誰にできるだろうか。
断言してもいい。まどかを責められる者など、この地上にひとりとていない。
もしいるとするなら、それは祈りを捧げ、命を賭けて戦う宿命を負った、魔法少女だけである。
その魔法少女であるさやかとほむらが彼女を責めない以上、まどかに責められる謂れは一切ない。

しかし、それでも、まどか自身が己を責めてしまうことだけは、どうにもできない。
その優しさが彼女の美点であり、同時に弱点でもある。かつてほむらが言っていたようにだ。

いつか彼女は、その優しさがために身を滅ぼしてしまうのかもしれない。
ゆえに、ほむらはまどかを気にかけているのだろう。キュゥべえにさえ把握し得ない、彼女のみが持つ目的のために。

今回キュゥべえが、ほむらを「極めつけのイレギュラー」と明言したことによって、彼女の立ち位置が、ある程度はっきりした。
どこにも、誰にも属さない、己の目的のためだけに戦う魔法少女。
マミさんやさやかのように人のためではなく、ほかの多くの魔法少女のようにグリーフシードを得るためという利己的な欲求に従うわけでもない。
ほむらの明瞭としない目的意識は、確かに極めつけと称するにふさわしい異分子なのだろう。

そして、「ほかの多くの魔法少女」の代表である、佐倉杏子。
実利のみを追求し、人の安全にまるで関心を払わない彼女の態度は、既存の魔法少女の概念から大きく逸脱するものだ。
だが、魔法少女の戦死が当然のこととされているあの世界では、彼女のスタンスの方がより自然なものとも思えてくる。

暁美ほむらはこう言った。
「あの契約は、たったひとつの希望と引き替えに、すべてを諦めるってことだから」と。
それが事実であるなら、魔法少女は魔法少女であること以外のすべてのアイデンティティを、契約の際に失っている。
ならば、魔法少女であり続けるために、他者の犠牲をいとわずグリーフシードを求めることも、倫理にもとることを別にすれば、理に適った欲求と言える。
そう考えると、在りし日のマミさんは、そして彼女の遺志を継いださやかは、確かに魔法少女のなかでも珍しい存在であるのかもしれない。

だからこそ、二者の対立は避けられない。
重きを置くものが、もっとシンプルに言えば利害が、まるで噛み合わないからだ。
美樹さやかと佐倉杏子。
彼女たちは、その立ち位置が決定的に異なるがゆえに、主張を相手に理解してもらうことが決してできない。
話し合いによる問題解決が不可能であるならば、残された手段はひとつのみ。
力によって、己が意思を押し通す。つまりは、戦うしかない。

こう思うのはもう何度目になるか知れないけれど、「魔法少女」という言葉からはあまりにもかけ離れた世界観だ。
魔法少女といっても、彼女たちはたまたま力を得てしまっただけの、年相応の子供に過ぎず、ゆえに情緒の面でも年相応であるのは、むしろ自然なことだ。
彼女たちは、超越者でも何でもなく、少しばかり特異なだけの、ただの人間に過ぎないのだから。

ただの人間だから間違いを犯す。
力に振り回される。
あるいは、力を振り回してしまう。
そういう生々しいまでの人間らしさをあえて取り払わず、残したうえで魔法少女としたあたりが、この作品のもっとも異質な点と言えるのかもしれない。


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テーマ : 魔法少女まどか★マギカ
ジャンル : アニメ・コミック

魔法少女まどか☆マギカの第4話を見た

「ベテラン」という言葉の意味。
これまでに見てきた「数えるのを諦めるほどの人の死」。
たとえ「忘れ去られても」仕方のないこと。
記憶にとどめてもらえるだけ巴マミは幸せ。「羨ましいほど」に。

暁美ほむらの言葉の数々は、彼女がかつて誰かに忘れ去られてしまったことを示唆している。
いったい誰から? 答えはおそらく、考えるまでもない。

やはり彼女は、鹿目まどかと、かつて交流のあった人物なのだろう。
そのことをどうしてまどかは忘れ去ってしまったのか、理由はいまだわからない。
推察するための材料には事欠かないが、それら自体がミスリードかもしれず。
ほむら自身が黙して語らない、あるいは“語れない”以上、すべては憶測の範疇を出ず、真実は闇のなかである。

そして、やはり、こういう方向性しかないよなあ、と。

このアニメ、というより企画の構造的に、キャラクターの死によってインパクトを与えられるのは一度きりだ。
その後は、誰がどのように死のうとも、いわゆる想定の範囲内になってしまう。「誰が死んでもおかしくないアニメ」であることが周知されてしまっているからだ。

だから、視聴者に衝撃を与え続けようと考えるなら、今度は別方向からのアプローチが必要となってくる。
脚本担当が虚淵玄氏であることを鑑みたうえで、それがどういったものになるかを予想してみると、答えは自ずと限られる。

キャラクターの死によって、世界の物理的な厳しさを思い知らせた後は。
キャラクターの苦悩によって、精神的な痛みを与えてくるものと、相場が決まっている。

そして、あのタイミングでのキュゥべえの登場。
見計らったかのような。
“待ちかねていたかのような”。
例えば、願いを持つ者の意思を察知して、素早くその場へ馳せ参じたというような想像も、できないことはない。
神出鬼没でテレパシー能力を持つキュゥべえならば、そうしたことができたとしても、決して不思議はない。

でも、しかし。
そうだとは、とても思えない。それが今の正直な気持ちだ。
さやかの語った「奇跡も、魔法も、あるんだよ」という言葉が、痛烈な皮肉のようにも思えてきてしまう。

この後の展開も、おおよそ予想できる。
労働には、それに見合うだけの対価が支払われるべきだけれど、現実は必ずしもそうではない。
働いたからといって、手伝ったからといって。
優しくしたからといって。
身を捧げたからといって。
それが必ず報われるとは限らないのだ。

なんて、重い、アニメなのか…!
魔法少女もののシナリオはポジティブでなければならないと、法律で決まっているわけではない。シナリオがどういったものになるのかは、作り手のさじ加減ひとつで変わってくる。
実際、アニメ以外の媒体では、意図してお約束を外した魔法少女ものも時折見られる。

だが、アニメというきわめて多人数が触れることになる媒体で、ここまで尖った作風というのはかなり珍しい。
その是非はすべてを見るまで問えないが、今の段階でも意欲的であることに文句のつけようはないし、個人的には楽しませてももらっている。
願わくば、それが最後まで貫かれることを。


コネクト(アニメ盤)

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