「少女セクト」が名作たりえた理由
「じゃがりこ」というスナック菓子をご存知でしょうか。
ガリガリと音をたてて食べられるほどの歯ごたえが最大の特徴で、シンプルな味付けと、適度な量も相まって、飽きっぽい私には珍しいほど長く食べ続けている、お気に入りのお菓子の一つです。
それの新製品で、「激辛インドカレー味」というものが出ておりました。
早速買って食べてみたわけですが、端的に言いましてイマイチです。
その原因としましては、まず「激辛」と謳うくらいですので、かなりの辛さを誇っているわけですが、それだけで終わってしまっているというのが大きいです。
辛さのレベルだけで言うなら、かの暴君ハバネロにも匹敵するほどだと思うのですが、暴君ハバネロが辛さと同時に美味さもあるのに対し、この製品は折角のカレー味を活かしきれず、うっすらと香りがする程度で、殆ど辛いだけで終わってしまっています。決して不味くはないのですが、惜しいと思わされる製品でした。(挨拶)
手短にまとめるつもりが、挨拶の部分だけで結構な文章量になってしまったのはともかく。
少女セクトについては、4月20日の記事でも書かせていただきました。そこで言いたい事は大体書いてしまったつもりだったのですが、単行本を読み返しておりましたら、もっと仔細にわたって書いておきたいという欲求が生じてしまいました。
というわけですので、もう少しだけこのネタにお付き合い下さい。
少女セクトの単行本を読んでおりますと、こうしたジャンルの漫画、つまり「18禁の漫画」としては、珍しいほど裏設定にこだわって描かれている事がわかります。
18禁の漫画雑誌を読んだ事のある方にならお分かりいただけると思いますが、掲載されている作品の大多数は、一話完結の読み切りである事を前提に描かれています。そのため、キャラクターの設定などは、必要最低限にしか作られない場合が多く、その後の人気から連載に持ち込まれても、設定が後から付け足されていくようなケースが多々あります。
勿論、すべてがそうだと言うわけではありません。ですが、そうした作品が18禁漫画の大多数を占める事も、また事実です。
そうした中にあって、多数のキャラクターが登場する作品であるにもかかわらず、その一人一人に、一般誌の連載でも通用しそうなほど詳細な設定が与えられている少女セクトという作品は、言わば異例中の異例です。
キャラクターだけにとどまらず、小道具の類い全般に関しても、そうした傾向が顕著に表れています。携帯電話は、その代表格と言えるでしょう。
「分散コンピューティング」という技術があります。
複雑な計算や処理などを、ネットを介して複数のコンピューターで行う事によって、より効率的に処理しようという技術です。代表的なのは、地球外生命体の探知を目的とした「SETI」や、癌の治療薬開発を目的とする「UD」です。UDの方は、一部の2ちゃんねらーが大々的に宣伝活動を行っていましたので、目にしたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
少女セクトの作中には、この分散コンピューティングの技術を、機能として盛り込んだ携帯電話が登場します。
そのサービスを利用する事で、携帯電話のような非力な端末でも、膨大な数のコンピューターによる分散処理の恩恵を受ける事ができるというわけです。
その利用料は、端末の分散処理に対する貢献度によって決定され、据え置きのパーソナルコンピューターのように大きく貢献できる端末ほど安く、逆に殆ど期待できない携帯電話のような端末は高くなる、という仕組みになっています。
端末自体の価格を、コストを削る事で下げる代わりに、分散処理サービスの利用料で利益を出す事を目的として作られた、数あるモデルの一つという位置付けになっています。
前提として、携帯電話の通信速度が今以上に高速化している事が必要になると思いますが、こうしたサービス自体を実現させる事は、現在であっても不可能ではないでしょう。
面白いのは、これだけの背景を持つ「携帯電話」という小道具について、作中でまったく語られないどころか、触れられもしていないというところです。単行本中のおまけページで言及されているからこそ、こうして知る事ができるのですが、もしそれがなかったなら、このような裏設定が存在する事など、作者以外の誰にも知りようがありません。
経験上、設定に過ぎるほどのこだわりを見せる漫画からは、キャラクターやストーリーなど、何らかの点で強い魅力を感じる事が多いです。それは、よく練り込まれた設定が、キャラクターやストーリーにより深みを与えるからだと思います。「リアリティ」と言い換えてもいいでしょう。
そうした観点から言いますと、この携帯電話に限っては、作中で明確に反映されていない時点で失敗だったと言う事もできます。ですが、描き手の立場に立って考えた際に、何も考えず、ただ“携帯電話”を描くのと、描き込む小道具の背景まで脳裏に描きながら描くのとでは、その存在感には少なからず差が生じてきます。小さな事ではありますが、そのような小さな事の積み重ねこそが、作品を凡百の良作から、唯一の名作にまで押し上げる事もあるのです。
少女セクトは、その好例と申せましょう。
ガリガリと音をたてて食べられるほどの歯ごたえが最大の特徴で、シンプルな味付けと、適度な量も相まって、飽きっぽい私には珍しいほど長く食べ続けている、お気に入りのお菓子の一つです。
それの新製品で、「激辛インドカレー味」というものが出ておりました。
早速買って食べてみたわけですが、端的に言いましてイマイチです。
その原因としましては、まず「激辛」と謳うくらいですので、かなりの辛さを誇っているわけですが、それだけで終わってしまっているというのが大きいです。
辛さのレベルだけで言うなら、かの暴君ハバネロにも匹敵するほどだと思うのですが、暴君ハバネロが辛さと同時に美味さもあるのに対し、この製品は折角のカレー味を活かしきれず、うっすらと香りがする程度で、殆ど辛いだけで終わってしまっています。決して不味くはないのですが、惜しいと思わされる製品でした。(挨拶)
手短にまとめるつもりが、挨拶の部分だけで結構な文章量になってしまったのはともかく。
少女セクトについては、4月20日の記事でも書かせていただきました。そこで言いたい事は大体書いてしまったつもりだったのですが、単行本を読み返しておりましたら、もっと仔細にわたって書いておきたいという欲求が生じてしまいました。
というわけですので、もう少しだけこのネタにお付き合い下さい。
少女セクトの単行本を読んでおりますと、こうしたジャンルの漫画、つまり「18禁の漫画」としては、珍しいほど裏設定にこだわって描かれている事がわかります。
18禁の漫画雑誌を読んだ事のある方にならお分かりいただけると思いますが、掲載されている作品の大多数は、一話完結の読み切りである事を前提に描かれています。そのため、キャラクターの設定などは、必要最低限にしか作られない場合が多く、その後の人気から連載に持ち込まれても、設定が後から付け足されていくようなケースが多々あります。
勿論、すべてがそうだと言うわけではありません。ですが、そうした作品が18禁漫画の大多数を占める事も、また事実です。
そうした中にあって、多数のキャラクターが登場する作品であるにもかかわらず、その一人一人に、一般誌の連載でも通用しそうなほど詳細な設定が与えられている少女セクトという作品は、言わば異例中の異例です。
キャラクターだけにとどまらず、小道具の類い全般に関しても、そうした傾向が顕著に表れています。携帯電話は、その代表格と言えるでしょう。
「分散コンピューティング」という技術があります。
複雑な計算や処理などを、ネットを介して複数のコンピューターで行う事によって、より効率的に処理しようという技術です。代表的なのは、地球外生命体の探知を目的とした「SETI」や、癌の治療薬開発を目的とする「UD」です。UDの方は、一部の2ちゃんねらーが大々的に宣伝活動を行っていましたので、目にしたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
少女セクトの作中には、この分散コンピューティングの技術を、機能として盛り込んだ携帯電話が登場します。
そのサービスを利用する事で、携帯電話のような非力な端末でも、膨大な数のコンピューターによる分散処理の恩恵を受ける事ができるというわけです。
その利用料は、端末の分散処理に対する貢献度によって決定され、据え置きのパーソナルコンピューターのように大きく貢献できる端末ほど安く、逆に殆ど期待できない携帯電話のような端末は高くなる、という仕組みになっています。
端末自体の価格を、コストを削る事で下げる代わりに、分散処理サービスの利用料で利益を出す事を目的として作られた、数あるモデルの一つという位置付けになっています。
前提として、携帯電話の通信速度が今以上に高速化している事が必要になると思いますが、こうしたサービス自体を実現させる事は、現在であっても不可能ではないでしょう。
面白いのは、これだけの背景を持つ「携帯電話」という小道具について、作中でまったく語られないどころか、触れられもしていないというところです。単行本中のおまけページで言及されているからこそ、こうして知る事ができるのですが、もしそれがなかったなら、このような裏設定が存在する事など、作者以外の誰にも知りようがありません。
経験上、設定に過ぎるほどのこだわりを見せる漫画からは、キャラクターやストーリーなど、何らかの点で強い魅力を感じる事が多いです。それは、よく練り込まれた設定が、キャラクターやストーリーにより深みを与えるからだと思います。「リアリティ」と言い換えてもいいでしょう。
そうした観点から言いますと、この携帯電話に限っては、作中で明確に反映されていない時点で失敗だったと言う事もできます。ですが、描き手の立場に立って考えた際に、何も考えず、ただ“携帯電話”を描くのと、描き込む小道具の背景まで脳裏に描きながら描くのとでは、その存在感には少なからず差が生じてきます。小さな事ではありますが、そのような小さな事の積み重ねこそが、作品を凡百の良作から、唯一の名作にまで押し上げる事もあるのです。
少女セクトは、その好例と申せましょう。
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じゃがりこが少女セクトに関係あるのかと思ったよ
そう思わせておいて、実は何の関係もないというオチです。
雑誌は18禁だけど『少女セクト』自体は成人コミックに指定されてないから『18禁の漫画』ちがう。
厳密にはそうでしたね。
でも、事実上のカテゴリーとしては、「18禁の漫画」で間違っていないと思いますよ。
でも、事実上のカテゴリーとしては、「18禁の漫画」で間違っていないと思いますよ。