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漫画版 「涼宮ハルヒの憂鬱」 第2巻

『涼宮ハルヒの憂鬱』 朝比奈みくるメイド服

「小説の表紙を参考にした」というこの服は、実はメイド服ではありません。
参考にしたのは「溜息」の表紙と思われますが、あれはメイド服ではなくウェイトレスの制服です。よって、リンク先の衣装もメイド服ではなくウェイトレスの制服という事になります。

さて、これと同じ誤りが漫画版にあるという事実は、どのように考えるべきなのでしょう。
私としては、著者氏の原作に対する認識の低さが生んでしまった事態と解釈しております。

第1巻と比べれば、幾分マシに見えない事もありませんが、やはり面白くはありません。原作や、アニメ版を面白いと感じた方は、たとえ興味があったとしても、全力で回避する事を強くお勧めいたします。後悔しかねませんので。

キョンの性格の変化に、やはりどうしようもない違和感を覚えてしまいます。
何より、「憂鬱」において最大の見せ場とも言える例の告白のシーンが、致命的にダメなものとなってしまっているのは、もはや正視に耐えません。と言いますのも、絵的に真正面から向き合っていない所為で、目をそらしながら例の告白を行っているように見えてしまうのです。これを致命的な欠陥と言わずして何と言いましょうか。

作画も相変わらず、微妙に手抜き感漂う仕上がりとなっていますし、構成も上手いとは言いがたいです。
ただし、既に完成の域にあった原作のシナリオに手を加えた点だけは、評価に足ると思います。そのまま描けば、無難な作品に仕上がったと思われるのに、そこをあえて変えていこうとするのには、相応の勇気が必要となった筈です。それをきちんとまとめた点も含めて、評価に値すると言っていいでしょう。

つくづく惜しい作品だと思います。
しっかりと練り上げれば、それなりの作品に仕上がったと思われるだけに、ただただ勿体ありません。
出す方にも、タイミングなどの事情が色々とあったのかもしれませんが、それは読者にはあまり関係のない事です。急いだところでろくな結果にはならないというのは、大昔のことわざからすら読み取れる教訓なのですし、もう少し考えた上で漫画化するべきだったと思います。

「涼宮ハルヒ憂鬱」の小ネタ その9

アニメが最終回を迎えようとも、原作を読み終えていない私の中では、未だに現在進行形な「涼宮ハルヒの憂鬱」の小ネタであります。原作を読み進めるたびに、アニメの方で新たな発見があったりしますので、まだしばらくは終われそうにありません。

涼宮ハルヒの横暴
朝比奈ミクルの輸送
長門 ユキ様の解説
朝比奈ミクルの攻撃Ⅰ/以上4点、Youtubeより
「涼宮ハルヒの憂鬱」の映像と、「風の谷のナウシカ」の音声を掛け合わせたMADです。
「横暴」が極めて秀逸です。短いながらも、確かな存在感を主張しています。
ちなみに、制作者はすべて同じ方です。

美樹本晴彦氏が描いた長門有希/美樹本晴彦オフィシャルサイトさま
もっと大きなものが見てみたいと思ったり思わなかったり。
このような、「描きそうにない人が描いた絵」には、不思議な魅力が生じる気がいたします。天野喜孝氏が描いてくれたりはしないものでしょうか。

2006年上半期、あなたの一番好きなアニメソングは?/なんくる☆ないさぁさま
1位と2位にそれほど差が無いのが印象的です。
ここでもハルヒがランキングを席巻しており、全30曲中5曲がハルヒ関連の曲となっております。

テレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」適当なまとめ:web上における批評・論考のリスト/MilkyHorse.comの馬法学研究会さま
その数実に、274件。それすらも、恐らくは氷山の一角でしかないと思われます。
すべて読めば、原作を読まずとも、アニメを知らずとも、「涼宮ハルヒの憂鬱」がわかったような気になれる…かもしれません。

涼宮ハルヒの憂鬱 スタッフ 総まとめ/電源を入れてください~都市ノォト~さま
比喩ではなく、現実にアニメーションの歴史へ名を残すだろう人々です。
こうして一覧にして見ますと、他の回の原画が平均して10人前後であるのに対し、倍の人数を投じた「ライブアライブ」の異常性が、より一層際立ちます。

涼宮ハルヒがWeb2.0にされる憂鬱/なつみかん。さま
これは「涼宮ハルヒの憂鬱」の質に惚れ込んだ人なら、程度の違いこそあれ、誰しもが抱える齟齬なのではないでしょうか。そして、質の良さ故にヒットとなった事を証明するには、具体的な数字を用いての比較が必要不可欠になります。

ゼロの使い魔の売れ具合、それなりに好調っぽい。ハルヒは……。/星ぼしの荒野からさま
とはいえ、数字だけでは良さの証明とはなりえない訳なのですが、これだけ桁違いに売れているのであれば、マーケティングの妙だけを成功の理由とするのは逆に不自然です。質の良さだけでこれほどの成功を収める事は出来なかったと思われますが、逆に質が凡庸であったなら、どれだけマーケティング的に成功していようとも、ヒットとなる事はなかったと思います。アニメが消費されるコンテンツとしての色を強めている昨今であれば、尚更の事です。

平野 綾 公式webサイト「綾魂-Aya Dama-」
ご存知、ハルヒの中の人のオフィシャルサイトです。
「ごんぶと」のCMに出演していた事は、つい最近知るに至りました。

「涼宮ハルヒの消失」

読了しました。
シリーズ第4巻です。



まずは端的な感想だけを書いておきます。
正直に言いまして、予想していたほどには面白くありませんでした。ですが、それは仕方のない事だったとも言えます。
何故なら、「消失」がシリーズ中でも屈指の名作として扱われている事は、「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品に興味を持つ者なら嫌でも耳に入るであろう情報であり、それを知った以上は、過剰な期待を抱いてしまい、その果てに失望を感じる事になったとしても、それは仕方のない事と言えるだろうからです。

更に言えば、ストーリーのあらすじとその顛末を、今までに得ていた断片的な情報から推察できてしまっていたという点も大きいでしょう。
読んでいくうちにオチが読めてしまったという方が、まだいいのです。それは、作品そのものから得た情報によって可能となった推察であり、引き金は作品にあります。故に、楽しむ過程でそういう結論を得てしまったという風に、好意的に考える事もできます。
ですが、作品外からヒントを得、結論にまで至ってしまった場合、そこから生じるであろう感覚は、大多数の人間にとって共通する悪しきものとなります。即ち、「ネタバレされてしまった」となる訳です。

私の場合は、そこまで大袈裟なものでもありません。しかし、本作「消失」のキーパーソンが誰であるのかは、読み始める以前から想像できていましたし、それは物語を楽しむ上で本来必要の無かった情報と言えます。そういう意味で、私はこの作品を純粋に楽しめたとは言いがたいのです。よって、「思っていたほど面白くなかった」という私の端的な感想は、あくまで主観的なものに過ぎず、客観性に乏しいものである事をここに明記しておく次第です。

さて、本著「涼宮ハルヒの消失」は、今までのシリーズとは一線を画した作品という印象を私に与えました。少なくとも、私が既に読了した「憂鬱」、「溜息」、「退屈」の3冊とは、ベクトルが微妙に異なります。
本シリーズの主人公は、言うまでもなくキョンであり、また作品内の主人公はハルヒです。作品内の世界はハルヒを中心として動いていき、それをキョンの視点で追い掛ける事になります。
ですが、この「消失」の作品内主人公は、ハルヒではありません。厳密に言えばそうなるのかもしれませんが、私には別の、ある人物が本著の主人公に見えました。既読の方には言うまでもないでしょうが、あえて言います。長門有希その人です。

世界は長門さんを中心に形作られ、長門さんを中心に動いていきます。
結果として絶望の間際にまで追い詰められる事になるキョンでしたが、拠り所として頼ったのは長門さんでしたし、最終的な解決への鍵となったのもまた、長門さんでした。
ハルヒが重要な位置を占めていたのも間違いありませんが、究極的に言えば、それがハルヒである必然性はなかったのです。ですが、長門さんがいなければ、この物語は始まりさえしませんでした。そういう意味でも、本著の真の主人公は「長門有希」だったと、私には思えるのです。

このシリーズはライトノベルであり、誤解を恐れず言えばキャラクターありきの小説です。キャラクターに魅力があって初めて体裁を成す作品ですから、萌え、もしくは燃えというのは作品にとって非常に重要な要素と言えます。
その点で言いますと、本著はまったく申し分がありません。

もっと具体的な話をしましょう。
本シリーズに登場するどのキャラクターが好きかという話になった時、その人気は涼宮ハルヒ、長門有希、朝比奈みくるの3者に分かれる事になるでしょう。鶴屋さんが主要キャラ並みに上位へ食い込む可能性も大きいのですが、ここではそれは置いておきます。
このうち、朝比奈さんが3位になるのは、恐らくですが間違いありません。問題は、どちらが1位を獲得するかという事なのですが、私は僅差で長門さんが勝つのではないかと思っています。
根拠と言えるほど具体的なものではありませんが、何でも例の3枚同時にリリースされたキャラクターソングは、秋葉原では長門さんのそれがもっとも売れたそうなのです。それをそのままキャラ人気と結びつけるのは如何にも短絡的に過ぎますが、一つの資料としては考える事ができるでしょう。

そして結論です。
本著を読むと、長門さんに萌える人の気持ちがよくわかるのです。「ああ、これでは仕方がない」という風に、納得してしまえるのです。
長門さんがああいう行為に至った背景を思うと、その切なさ加減はちょっとやそっとで書き表せるものではありません。どれだけの事を思ってきたのか、どれだけの事に耐えてきたのか、そういった事柄に思いを馳せると、彼女の辿った道筋は同情するにあまりあります。キョンが怒るのも無理からぬ事です。

はじめに前置きましたように、本著はそこまで面白い作品とは、私には思えませんでした。少なくとも、私にとっては「溜息」の方が、まだ楽しむ余地がありました。アニメ化以降のファンの方ですと、私と同様の感想を抱く可能性が大きいと思われます。
ですが、長門さん萌えを自称するなら、1食を抜いてでも迷わずに買うべき作品です。後悔する事は、万に一つもないでしょう。特に長門さん萌えでもなかった私でさえ良いと思ったほどなのですから、これは間違いないと胸を張って言う事ができます。

そして同時に、本著の映像化した姿を観たいと、読んでいる最中に強く思いました。京アニならば、これを一世一代の名作に仕上げてくれる事でしょう。
いつになるかはわかりませんし、或いはそんな機会が訪れる事は無いのかもしれません。ですが、オタクを自称するならば、待つべきでしょう。「涼宮ハルヒの消失」には、それだけの価値があるのですから。

「涼宮ハルヒの溜息」

シリーズ第2弾です。



シンプルですが、難しい話だと感じました。これはこの「溜息」に限定した感想という訳ではなく、作品全体に対して私が抱く印象のようなものでもあります。

シンプルと言いますのは、ハルヒとキョンの2人が、お互いに対して持つ恋愛感情の事です。

ハルヒはキョンの事が大好きですし、一度として明言はしていないながら、キョンがハルヒを想っている事も明白です。
周囲に対し、表面上どういった態度を見せるにしろ、ハルヒの内面は恋する少女そのものと言えますし、キョンはキョンで、あの傍若無人なハルヒの在り方そのものを認めんとするほどに強く想っています。時折差し挟まれる朝比奈さんとハルヒとの対比が、実際はハルヒに対する想いをカモフラージュする為に使用されているという点も印象的です。
この分かり易過ぎるほどにボーイミーツガールな構図は、シンプルと言う以外に表す言葉を思い付きません。

谷口氏の言う通り、さっさとくっついてしまえばいいと思うのですが、ハルヒは言わずと知れた「ツンデレ」なキャラクターですし、キョンの捻くれ度合いはそのハルヒさえをも上回るという、ある意味どうしようもない状況です。そういう訳で、2人が自分の気持ちに素直になれる時が訪れるのは、もう少し先の話になりそうです。

そして難しいと言いますのは、ハルヒの性格と性質の事です。

厳密には、ハルヒの持つ性格は、特に難しいという訳ではありません。あれほどのレベルはそう居ないにしても、自己中心的な性格を持つキャラクターなどは珍しくもありません。ただ、ハルヒの持つ「現実を願望によって侵食する」という極めて異常な性質が、あの自己中心的な性格と合わさると、非常に厄介な存在となってしまいます。そういう意味で、「涼宮ハルヒ」というキャラクターは、特に身近な人物にとって、存在そのものが難しいと言えます。

本巻では、様々な思惑の錯綜した様子を垣間見る事もできます。
古泉君の属する勢力は、ハルヒを「神」のような存在と認識しています。世界の崩壊と創世を司るとしており、事実ハルヒは願望によって物理法則さえ改変してしまいます。

一方朝比奈さんは、世界は予め「こういう世界」であったのだと語ります。つまり、宇宙人も未来人も超能力者も元々存在し、ハルヒの能力はそれを無自覚に発見できるというだけに過ぎないと言うのです。

長門さんの勢力にも異なる考えがあるようですが、作中でそれが語られる事はありません。彼女がどんな真実を言葉にしようと、キョンには信じる根拠が無いが故にです。そしてそれは、古泉君と朝比奈さんの主張に通じる事でもあります。

SOS団に籍を置く、長門有希、朝比奈みくる、古泉一樹の普通ではない3者は、実のところ、それぞれをあまり信用してはいないようです。
朝比奈さんは古泉君に対して懐疑的ですし、その古泉君は朝比奈さんを信用ならない存在であると断じています。しかも古泉君が言うには、「涼宮ハルヒ」を根幹にした理論を持つ集団は他にも多数存在し、それぞれが血で血を洗う抗争を、水面下で延々と繰り広げているとの事なのです。

そして長門さんは、そうした地球上での抗争を、ただ観察し続けます。彼女は、そして彼女の属する勢力は、ハルヒとそれを取り巻く状況をもっとも確実に把握していると思われますが、その情報が古泉君や朝比奈さんへもたらされる事は、恐らく無いでしょう。仮にあったとしても、彼らの勢力がそれを素直に受け入れるのかという問題もあります。
長門さん達にとって、生き残る理論がどれであるかの推察には意味がありませんし、このバトルロワイヤルに介入する意義もありません。最後に残ったそれを事実として受け入れ、観察を続けるだけの事だからです。

ここで肝となりますのは、3つの勢力の思惑はしかし、必ずしも3者の思惑と同義ではないようだという事です。
この時点では、誰を信じればいいのかすらわからないような状況です。しかし、時間の経過と共に、この状況が変わっていく事は間違いないでしょう。それが良い方向であるにしろ、そうでないにしろ、状況が大きく変わればストーリーも大きく動きます。即ち、今後面白い山場が訪れる可能性が少なからずあるという事で、読者としてはその時が楽しみです。

あと今回は、個人的な笑いのツボを突かれる箇所が比較的多かったように思います。そういう意味でも、本著には楽しませてもらいました。

「そういう意味でも」という言葉の通り、純粋に作品としても楽しめました。
ただしこれは、アニメによって大部分の情報が補完されているという前提があっての話です。更に言えば、これだけ伏線を張られた上で、続きを数ヶ月間待たねばならない状況に置かれたとしたら、こんな悠長な感想を言えたかどうか、定かではありません。

とはいえ、私の現状に照らし合わせた感想を述べるなら、やはりこの作品は面白いと言わなければならないでしょう。前述の事は、私のようにアニメから入った他のファンに対しても言える事なのです。即ち、アニメを視聴した上で原作に興味を持ち、「涼宮ハルヒの溜息」を手に取った方ならば、私と同様に楽しめる可能性が幾らかは存在するという事です。

以上をもって、この作品に関する雑感といたします。

余談ですが、谷口氏の「さっさとくっついちまえ」発言の出所が何処であったのかがとんと思い出せず、一時間近くも探し回る羽目になりました。原作全8巻に加え、漫画版にまで手を出してしまった所為で、頭の中の情報がえらく混乱気味です。
そういえば、全8巻と書きましたが、実は正確ではありません。在庫が無かったという致し方ない理由により、「消失」だけは未だに手に入れていないのです。第3巻に相当する「退屈」へ収められている「笹の葉ラプソディ」と共に、もっとも興味のあったエピソードでしたので、この現状には遺憾を覚えます。まぁ、もう少しの辛抱だともわかってはいるのですが。

漫画版 「涼宮ハルヒの憂鬱」

そろそろ、カテゴリに「涼宮ハルヒの憂鬱」を追加した方がいいのかもしれません。(挨拶)

作画はツガノガク氏が担当されておられます。



率直に言いまして、あまり面白いとは思えませんでした。
情報量で言いますと、原作とアニメ版が僅差で並び、そのかなり後方にこの漫画版が位置するという感覚です。描写の不足は否めず、これ単体では原作に対する誤解を招く事もあるかもしれません。
実際には、そうまでひどいものではないのかもしれません。しかし、アニメ版と原作を知った上で読んでしまいますと、嫌が応にも描写不足が目に付いてしまい、語る言葉が自然と辛辣なものとなってしまうのです。

殆どの部分が原作に沿って作られていたアニメ版とは異なり、この漫画版は独自の展開を見せています。エピソードの順序が変えられているだけでなく、キャラクターの性格も微妙に異なっており、それに伴ってキャラクター同士の関係性にも幾らかの違いが生じています。
主人公のキョンに至っては、性格どころか性質的な部分までもが変更されています。典型的な巻き込まれ型の主人公となってしまっており、ハルヒをはじめとする周囲から、いいように振り回されているのです。それ自体は原作やアニメ版と大して変わらないのですが、問題なのは、巻き込まれる事に対するキョンの態度の違いです。

原作及びアニメ版のキョンは、言うなれば「ハルヒのなだめ役」とでも言うべきポジションにいます。常にハルヒと対等の立場に在って、時には力を貸し、時には諫めようとします。たとえ厄介事に巻き込まれても、怯えて後ずさる役などに甘んじる事はなく、何も出来ないなりにその場に在って、顛末を見届けようとするのです。ストーリーテラーとしては必須の性質ですが、同時に彼の個性を表す部分でもあります。

この漫画版において、もっとも強い違和感を覚えたのが、まさしく上記にまつわる部分です。
長門さんから、「涼宮ハルヒ」という人物の、そして自らの真実を語られた際、事もあろうに話の途中で席を立つのです。アニメ版において、キョンが意図的に相手の話の輿を折ろうとした場面は1つしか存在せず、しかもそれは未遂に終わっています。古泉君との車中での会話の際の、「3年前の事はもういい」という台詞が、それに相当します。ちなみに、原作ではこの部分がモノローグとなっており、実際に発声したのかは不明です。

どんな非日常であっても、受け入れるかどうかは保留にするとしても、とりあえずはすべて受け止めてきたのがキョンというキャラクターでした。それが受け止める事さえせずに逃げ出すという姿に、決定的な齟齬を感じてしまったという訳です。

ただし、上記の場面では、直後に朝倉さんと長門さんとの戦闘シーンを持ってくる事により、ストーリー的な整合性を取る事には成功していると言えます。しかしそれでも、キョンというキャラクターの性質を捻じ曲げ、凡百のエロゲの主人公並みの存在へと没落させてしまったのは、大きな失敗であったと思うのです。

漫画化の簡単な作品ではないと思います。少なくとも、原作に勝るほどの魅力を持たせる事は、極めて難しいと言っていいでしょう。しかし、漫画には漫画なりの表現方法がある筈ですし、描き方次第でもっと良いものになった可能性も、少なからずあると思います。そういう意味では、この1巻には価値がありません。

ただ、「エピソードの順序を組み替える」という試みには、可能性を感じました。完成の域にある原作の構成をあえて崩す事により、新たな魅力を提示してくれるかもしれないと思ったのです。
勿論、不発で終わる危険性もあるでしょう。むしろ、そちらの可能性の方が大きいかもしれません。ですが私は、本作のその試みに期待を寄せたいと思っています。

原作 「涼宮ハルヒの憂鬱」

著者は谷川流氏。
言わずと知れた、アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」の原作です。



原作のファンである方々の反応を今まで見てきて、そうではないかという予想はしていました。そして、自分が原作を読了する事によって初めて、アニメ版は実に丁寧に、そして大胆にアニメ化された作品であるという事を知るに至りました。
勿論、このアニメ化がすべてのファンに受け入れられただなどと考えている訳ではありません。人の感性は、それこそ人の数だけあるとも言えるのですから、如何に多くの支持を受ける作品であったとしても、それを拒絶する人が表れるのは、必然と言っていいほど自然な事です。
ただし、正直に告白するなら、この作品のアニメ化を否定する人は、極端なまでに少ないのではないかとも思っています。

「丁寧」な部分を書き出してみます。
まず、各話のストーリー展開と、差し挟まれる台詞の数々にそれが見られます。
基本的に、可能な限り原作に沿ってシナリオが展開し、またキャラクターの心情が動いていくように描かれています。特に、シナリオに関しては原作とアニメ版ではほぼ同じと言ってよく、極端な話、アニメ版をすべて観てそのシナリオを知っている方なら、原作の第1巻を読む必要は無いとさえ言えるほどです。

そして台詞は、双方において多くの部分を占めるキョンのモノローグを筆頭に、僅かの添削やイントネーションの変更はあるものの、殆どすべてが同じように扱われています。アニメ化以前からの原作ファンの方々には、頭の中で思い描いたようなイントネーションで、原作そのままの台詞を口に出すキャラクター達の姿が目に映ったのではないでしょうか。

そして、「大胆」な部分を書き出してみます。
具体的に言いますと、アニメーションならではの演出を用いた場面です。例を挙げますと、まずアニメ版第2話、「涼宮ハルヒの憂鬱1」においての、新たなクラブを作る事を思い付いた直後のハルヒの行動です。原作では、発見の喜びを授業中にもかかわらずキョンへと伝えた後、休み時間になるやいなや、キョンを引きずりつつ早足で屋上前の踊り場まで行く事になっています。この場面がアニメ版では、行動やその結果は変わらないものの、「キョンを引きずりつつ早足で」という部分に大きな違いが見られます。アニメ版では、ここで全速力と言っていいほどの凄まじいスピードでキョンを引っ張っていくのです。この描写の違いが、ハルヒの持つ性格の一端、即ち強引さをわかりやすく表していると共に、描写にメリハリをつける事に一役買っています。

原作には無い、朝倉さんに関しての描写が時折差し挟まれているのも、アニメ版ならではの特徴と言えるでしょう。第10話、「涼宮ハルヒの憂鬱4」においてのそれが、特に顕著です。
更に第10話では、朝倉さんと長門さんの戦闘シーンにおいての描写にも、並ならぬ技巧が凝らされています。とは申せ、原作とアニメ版との間に台詞などの違いはなく、言ってみれば原作の描写をそのままアニメにしたようなものです。にもかかわらず、アニメ版の描写に感嘆の息を漏らしてしまうのは、双方の間に、と申しますより両媒体の間に、決してくつがえる事のない絶対的な情報量の差が存在するためだと思われます。

そして、「大胆」な部分の最たる例は、最終回である第14話の、神人の出現から閉鎖空間の終息に至るまでの描写です。
音楽の力は侮れないもので、現れた神人に圧倒的なまでの存在感を与えると共に、終焉へ向かう世界と、それを阻むために本音をさらけ出す主人公という構図を、BGMの流れで上手く演出しています。

原作では立ち止まった状態で行われていた2人の台詞の掛け合いも、アニメでは走りつつ行われるという形に変更されています。多少あわただしい雰囲気になってしまいましたが、場面の状況的には逆に良かったかもしれません。何より、「俺は元の世界に帰りたい」というキョンの意思表示に対するハルヒの拒絶を、「立ち止まり繋いだ手をほどく」という、視覚的にわかりやすい形にできた事が、非常に大きなメリットとなっています。

原作では僅か半ページに過ぎない、キョンがキスをしてから自室で目覚めるまでの部分も、経過時間的には違いを感じさせないながらも、描写によって決定的な違いが生み出されています。キスをきっかけに閉鎖空間が集束し、ハルヒの内面世界へと回帰していくさまは、文字では絶対に表す事のできないものです。

ただし、ハルヒにキスをしつつ、その肩へ置いた手に力を込めたキョンの心境は、原作でしか知る事はできません。こちらは逆に、アニメでは差し挟む事が難しく、視聴者の想像力に期待しなければならない部分と言えます。下手に挿入してしまうと、流れを崩してしまう危険性があるからです。

事前に他の作品を読む事により、比喩の多用が著者氏の持ち味の1つだと知ってはいましたが、正直に言いまして、私はそれにあまり良い印象を抱いてはいませんでした。ですがそれは、選んだ作品が「絶望系~」や「ボクのセカイをまもるヒト」という、ある意味で選択の失敗と呼べるものだった事に起因するのだと、今なら理解できます。
率直に言いまして、著者氏の文章力がこれほどのものだったとは、まったく思っていませんでした。これは自分の鑑識眼の無さを、大いに反省しなければならないでしょう。

アニメ版のストーリー展開の妙は、原作の段階で既に完成されたものでした。元が良ければ、余程の改悪を加えない限りはそれなりのものができる筈で、しかもアニメ化に携わるのが天下の京都アニメーションであるというなら、名作にならない方がむしろ不自然です。
現在、私の手元には「憂鬱」から「退屈」までの3冊があるのですが、遠からず全8冊が揃う事になるでしょう。感服いたしました。

涼宮ハルヒの憂鬱 第14話補足 「ボーイミーツガール」

第14話において、ハルヒはキョンの気を何とか惹こうと、涙ぐましいまでの努力を重ねていました。視覚に訴え、聴覚に訴え、しかしそれでもキョンは気付こうとはしません。
ですが、ここで1つの疑問が生じます。
果たしてキョンは、本当に気付いていなかったのでしょうか。

キョンに対するハルヒの主張は、確かに直接的とは言い難いものばかりでした。しかし、少し、ほんの少しだけ勘ぐれば、裏にどのような感情があったのかを容易に察する事ができたのではないかと思われるのです。

第14話を、2度3度と観返していて思い至りました。
この2人は、駆け引きをしているのではないのかと。

その前提としては、まずキョンのモノローグをすべて疑って掛かる事が必要になります。
彼もまた、素直さとは縁遠い人物です。何せ、世界崩壊の瀬戸際に立たなければ、本音をさらす事さえできないのですから。
劇中のキョンのモノローグは、退屈ながらも平和な日常に対する喜びに満ちたものでしたが、その言葉の数々は、何処か自分へ、そして自身が恋し、本音をさらしたくない相手へ言い聞かせているようでもありました。
そのようにして見ていきますと、第14話においての2人の掛け合いすべてが、まるで素直でない男女がお互いに意地を張り合っているようにしか見えなくなってきます。と言いますより、事実その通りなのでしょう。

そんな2人が、意図せず本音でぶつかり合う機会を得る事になります。ハルヒが作り出した、2人だけの箱庭世界、世界崩壊への扉たる閉鎖空間です。その中には、2人以外の何人も立ち入る事を許されず、またその2人が出る事も許されてはいませんでした。
ここで、2人は初めて、意地も建前も抜きにした、素の言葉で語り合う事になります。

「自分がいて、キョンがいて、面白い事が起こっている世界」。
それはまさしく、ハルヒが心中に思い描いていたであろう世界そのものです。自らが望んでいたものをようやく手に入れるに至り、ハルヒの心中はかつてない希望と充足で満たされていたと思われます。

しかしキョンは、それを真っ向から否定するのです。
お前が夢見ていたものは、既にあったのだと。
世界は面白く、その面白い世界はお前を中心に回っていたのだと。
そして何より、「俺がお前を必要としている世界」なのだと。

ハルヒからのアプローチに対し、キョンは徹底して受身でした。
攻勢に転じたのは、私の記憶にある限りですと、例の告白の場面のみです。そしてそれは、ハルヒがずっと待ち望んでいた瞬間でもあったのでしょう。
これが2人の駆け引きだったとするなら、勝者はハルヒという事になりそうです。

「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品をカテゴライズするなら、その候補の1つとしてSFが挙げられると思います。私自身、それを事実として認識していながらも、それに微妙な齟齬を感じていました。その理由は恐らく、この作品が本当の意味でのSFではなく、言うなれば学園を舞台にした「ボーイミーツガール」であったからだと思われます。

涼宮ハルヒの憂鬱 第14話 「涼宮ハルヒの憂鬱 6」

「針のむしろ」という言葉があります。
いてもたってもいられないような、今すぐにでも逃げ出したくなるような、そんな状況を指して使う言葉ですが、今回の導入部分が、まさにその言葉通りの様相でした。

その理由は2つあります。
1つは、キョンがSOS団の部室のPCに隠していた朝比奈さんの写真が、あろう事かその本人に見付かりそうになってしまった事です。
と言いますか、本人が目の前にいるにもかかわらず、そのあられもない姿が写された写真を平然と眺めてしまうキョンは、自身がどれだけ否定しようが普通ではありえません。例の「星型のほくろ」を確認するという目的のためとはいえ、普通ならば躊躇する場面です。
さり気なく隠しフォルダに設定し、デフォルトでは見られなくしているあたりは小市民的と言えなくもないですが、それにしても他人に見付かる可能性がゼロとは言えないわけですし、やはり大物なのだと思います。

話がそれました。
もう1つは、上記の流れで朝比奈さんとじゃれあっているところを、事もあろうにハルヒに見られてしまった事です。何故それが「針のむしろ」なのかは、これまでを観てきた方には説明するまでもないと思います。
これまでを観てきていない方のために、簡潔に説明させていただきますと、「キョンと朝比奈さんがじゃれあっているところをハルヒに見られる」という事象は、世界の崩壊に直結するほどの、極大の危険性をはらんだ大問題だからです。

前回、第13話の雑感の中で、作品内の世界が非常に際どいところでバランスを取っていると書いたと思います。そして、その天秤の支点となっているのが、ハルヒの心の在り方であるとも書きました。
ハルヒがキョンを一人の男性として認識し、その上で強い好意を抱いているのは、もはや疑いようもなく明白です。しかしそうであるなら、想いを寄せる相手が他の女性とイチャついていれば、気分を害してしまうのも自然な流れと言えます。
案の定、ハルヒの機嫌は最悪のところにまで落ち込んでしまいます。そして世界はバランスを崩し、崩壊への一途を辿る事となってしまうのです。

唐突ですが、ここで「キョンは鈍いのか否か」についてを考えてみたいと思います。
上記ののち、遅れて来た古泉君も交えての、いつも通りの日常が訪れる事になります。
ですが、それはあくまで外見だけのものです。何処からどう見ても普通ではなく、あまりにいたたまれないその空間は、まるで「一触即発」という言葉をそのまま具現化したかのようでさえありました。

ハルヒは終始にわたって不機嫌でしたが、その行動からは、キョンの気を引こうという意思が明確に見て取れました。朝比奈さんを筆頭に、周囲もそれに気付いていたように思います。
しかし、その渦中に在る筈のキョンのモノローグは至極淡々としており、平凡な日常を謳歌できる事に対する喜びさえ込められていました。つまりハルヒが、そして部室の空気がいつもと違う事に気付いていなかったのは、キョンだけであったと思われるのです。
果たしてそれは、素で行われていた事なのか、それとも本音を押し隠した上での建前だったのか、それが問題になります。

作中での描写を見るに、恐らくは前者であると思われます。しかしそうなりますと、キョンの鈍さ加減はいささか常軌を逸していると言わざるを得ません。あの場に在って「平凡な日常」だなどとのたまえるのは、余程の朴念仁か、そうでなければ不感症に相違ないからです。
どちらにしろ、ここでもキョンは、自身の普通ではない部分を露呈してしまった形になります。

そうして、朴念仁で不感症なキョン氏は、ハルヒが示した幾つものサインにも気付かず、或いは気付かぬふりをして見せ、結果として状況は最悪へと至る事になります。

ついに現れてしまった、世界崩壊への扉たる強固な閉鎖空間。それは既に、別個の世界として機能し始めており、外界からの干渉は極めて困難となっていました。
続く数多の神人の出現と共に、夜明けに至ればすべてが終わってしまう事は、もはや逃れようのない定めとなったかに見えました。

解放への鍵は、「sleeping beauty」と「白雪姫」という、仲間が示してくれた2つのヒントです。そして、この2つの童話に共通する事柄が、1つだけ存在します。
絶望に触れ、世界の終焉と新生の狭間たる眠りの深淵へと身を投じたお姫さまは、王子さまのキスによって目を醒ます事になるというわけです。

上記の場面でのキョンのモノローグは、極めて秀逸でした。
ハルヒにとって、キョンがどういう存在なのかは前述の通りです。では、それに対するキョンにとってのハルヒは、「後ろの席のクラスメイト」ではなく、「進化の可能性」でも「時間の歪み」でも「神」でもなく、では何なのかと言えば、「萌えるポニーテールの女の子」であると。
彼の本音を、初めて聴いた気がいたします。

もとい、彼が作中において素の言葉で語ったのは、各話を時系列に沿って並べた上ですと、恐らくはこの時が初めてになるのではないでしょうか。いつもは決してしないが故に、こういう場面では無類の説得力を持つ事になるようです。
選んだ言葉は間違いもいいところでしたが、行動と、その裏に秘めた真意は本物でした。

かくしてお姫さまは目を醒まし、彼と彼女は日常へと戻っていきます。
憂鬱からは程遠い、少しだけ不思議な日常へと。

今回は、声の演技も実に冴え渡っていました。
その妙なる事と言いましたらもう、何気ない一言に籠められたキャラクターの想いが、まるで目で見ているかのように読み取れたほどです。「涼宮ハルヒの憂鬱」の最終回に相応しい、名演技の数々でありました。

といったところで、最終話の雑感はお仕舞いです。
まだまだ書き足りない気もいたしますが、それはまた別の機会に発散させていただこうかと思っています。いつかは、作品全体を通しての雑感なども書いてみたい所存です。

そしてついに、「アニメが最終回を迎えるまで原作には手をつけない」という、自ら課した縛りから解き放たれる時がきました。ひとまずは、名作と名高い「消失」までを購入してこようと思っています。
それの雑感も、いずれまた。

「涼宮ハルヒ憂鬱」の小ネタ その8

Yuki Nagato in MUGEN/Youtube
「涼宮ハルヒの憂鬱」と、フリーの格闘ゲーム「MUGEN」を組み合わせたMADです。
MADを制作した人も凄いですが、キャラクターを作った人も物凄いですね。ってもしや、同一人物だったりしますか?

Blues Drive Monster/Youtube
Youtubeを眺めていて、ハルヒ関連のMADが割と多い事に気付きました。上記の「Blues Drive Monster」も、そのうちの一つです。
MADとしてはごく普通ですが、アニメーションと曲とが実に丁寧に合わせられており、完成度が非常に高いです。
そしてMADではありませんが、第12話「ライブアライブ」のライブシーンだけを抜き出したものも、存外に多いようです。似たようなものが、少なくとも6つほどはあるようで、Youtubeといえどもこの多さは例外的と言ってよく、第12話への注目度の高さがうかがえます。

"Megamiマガジン、アニメ版監督インタビュー要約 "ということらしい/REVの雑記::Group::Lightnovelさま
興味深い情報も幾つか記されています。
第12話は、やはり大変だったようですね。原画の人数も過去最高だったようですし。

「涼宮ハルヒの憂鬱」ゲーム化(を熱望する)サイト
そしてついにゲーム化です。まぁネタなんですけど。
とはいえ、そこでお仕舞いにしてしまうにはもったいないほどに作り込まれています。個人的には、「DOWNLOAD」ページのそれっぽさがツボにきました。

涼宮ハルヒの詰合 ~TVアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』劇中歌集シングル~/アニメイトTV
「涼宮ハルヒの詰合」をはじめとした、各種CDの試聴が可能です。
キャラクターソングには今のところ興味が無いのですが、今後の展開次第では欲しくなってしまう事も十分に考えられます。第12話の放送によって、詰合を購入するに至ったという前例もある事ですし。

涼宮ハルヒの憂鬱 1/涼宮ハルヒの憂鬱 特設ファンサイト
Episode00に続き、限定版のジャケットはいとうのいぢさんの描き下ろしです。
ハルヒが右手に持っているレモンは、Episode00でも朝比奈さんが右手に持っていました。思い至るものが、TVの番組表を集めた某雑誌くらいしかないのですが、何か関連性があったりするのでしょうか。


最終回のその時が、刻一刻と近付いております。
名残惜しい事この上ありません。

テーマ : 涼宮ハルヒの憂鬱関連
ジャンル : アニメ・コミック

「涼宮ハルヒ憂鬱」の小ネタ その7

「God knows...」をアホのように聴きまくっております。
数えていませんので正確な数字はわかりませんが、少なくとも30回は聴いていると思います。第12話のライブの部分も含めてしまうと、総数は更に増す事になります。

ですが私は、軽度とは言わないまでも、そこまでハマっている方ではないと思っています。
いえ、絶対評価で見るのなら、ハマり過ぎと言っても差し支えはないのでしょう。しかし、相対的に見たなら、私などはまだまだだろうと確信を持って言えるのです。
第12話のライブのシーンには、そして「ENOZ」の音楽には、そう思わせるだけの力があります。これだけ良ければもっと聴いている人も、いや聴くだけに留まらず、何かやろうとする人も必ず出てくるだろうと確信させるほどの、絶対的なまでの力があるのです。


ENOZ ZONE
ENOZヴォーカルアルバムの発売を目指そうという企画を立ち上げていらっしゃいます。
現時点では願望の域を出ていませんが、多くの賛同が集まれば会社が動く事もあるかもしれません。個人的にも、応援したい企画です。

ENOZ LiveSite
「God knows...」と「Lost my music」を、実際にライブで演奏しようという企画のまとめサイトさまです。アップローダーも兼ねておられます。

平野綾「HEY!HEY!HEY!」出演決定!!/魂は永遠に彷徨うさま
上記左はランティス公式へのリンクですが、現在は表示できなくなっています。アクセスが集中し過ぎている事が原因のようです。
もし歌うのなら、曲は是非「God knows...」でお願いいたします。普通に考えれば「冒険でしょでしょ?」ですが、そこを何とか。

God knows...(GUNDAM Edition)/Youtube
「God knows...」の、例のガンプラバージョンです。こちらがその元ネタになります。
回を重ねるごとに精度を増しているように感じるのは、私だけではないですよね? 以前観たキングゲイナーのOPのものは、もっと雑だったと記憶しているのですが、それは制作者が別だったりするのでしょうか。

朝比奈みくる写真館
公式サイトの、例の隠しページです。
ソースを覗くと、更なる禁則事項があったりします。

恋のミクル伝説 「デオキリボ核酸に訴えかけるコノフレーズ!」/アキバBlogさま
大した事ではない上に、恐らくは今更なツッコミなのですが、デオキ「シ」リボ核酸ですよね。


こうして見ますと、第12話のライブ関連のネタが凄まじく多い事に気付かされます。称賛を集めるに足るだけの、極めて高い質を有していたという事の証明と言えるでしょう。
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